1989年から1996年にかけて連載され、今なお名作として語り継がれている漫画『スプリガン』。古代文明やオーパーツといったロマン溢れる舞台設定と主人公の御神苗優をはじめとしたキャラクターの造形。その魅力は完結から四半世紀を経た今もまったく色褪せていない。昨年には初のアニメシリーズ化、Netflixで配信されるや否や、リアルタイマーから新たに本作と出会ったファンまでが熱く支持。その追い風を受けて、このたび2023年7月からはTOKYO MXとメ〜テレでの放送も決定した。それを記念して、原作・たかしげ宙と作画・皆川亮二の対談が実現。連載当時のエピソードや、今回のアニメを観ての感想を語ってもらった。
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――改めて『スプリガン』が描かれた当時のことを伺いたいんですが、連載開始が1989年でしたね。
- たかしげ
- ちょっと前に初代担当の方が当時をまとめたものがSNSに上がっていて、自分もそれを見て再確認したんですけど、最初に自分が原稿を持ち込んだんですよ。そのとき彼(皆川)は別に漫画を描いていて。
- 皆川
- そう、だから僕は『スプリガン』をやることをまったく知らなかったんです。
- たかしげ
- 担当編集者も違ったからね。
- 皆川
- 僕は当時、高校の同級生でもある神崎将臣先生の手伝いをしていたんですね。そのときに『サンデー』の編集者の方に「描いてみな」って言われたんですよ。たぶん深い意味はない、リップサービスのようなものだったと思うんですけど、僕は本気で捉えて必死になって描いたんです。その『HEAVEN』という作品がデビュー作になったんですけど、そこからいつの間にか『スプリガン』をやるという話になって。
- たかしげ
- 脚本を持っていったときに担当編集Kさんが「ちょっと描かせたい人がいるから」と言っていたんですよね。それが彼だったんです。「おそらく次に入選するから、そうしたらこれをやらせるから」って。「やらせるから」って言いましたからね(笑)
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――ご本人のまったく知らないところで(笑)
- たかしげ
- 担当編集Kさんは前の担当さんに「この子はちょっと出したいのがあるから俺にやらせてくれ」と要求して代わってもらったらしいです。それから半年ぐらいかかって1989年の2月に連載がスタートしました。手塚治虫先生が亡くなった翌日だったので、よく覚えています。
- 皆川
- 僕はその前の夏ぐらいにデビューしていたんですけど、その頃に担当さんが挨拶に来いっていうから行ったら、いきなり『スプリガン』の原作を渡されて「おまえはこれを描きなさい」って。新人なので断れないじゃないですか(笑)「わかりました」って言ってやるしかなかった。
- たかしげ
- だから、『スプリガン』が始まってからも彼とはしばらく面識なかったんですよ。初めて会ったのは連載が始まって半年ぐらい経ってから。
- 皆川
- 忘年会のときでしたね。
- たかしげ
- 会ってみたら同い年だし、好きなものも大体重なっていたので話が合って。それからは仲良くやらせてもらいました。
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――たかしげ先生が最初に持ち込んだ原稿の時点で、世に出た『スプリガン』の大枠はできあがっていたんですか?
- たかしげ
- そうですね。もう出所がインディ・ジョーンズの『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』のラストシーンなんで。いっぱい宝物が重なっているんですけど、あれが全部危ないものだったら大変だなと思ったところからの発想だったんです。そこに、現代劇だから現代性を取り入れたほうがいいのかなと思って、ああいうフォーマットになっていきました。
- 皆川
- 僕も原作を読んだときに「これは絶対に『レイダース』が好きなやつが書いてるんだろうな」と思いました。僕もスピルバーグが大好きで、スピルバーグの映画の影響で漫画を描いていた感じだったので、これはもしかしたら話が合うやつかもしれないと思っていましたね。
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――改めて読み返してみると、インディ・ジョーンズ的な冒険活劇の側面と同時に、当時の世相や社会情勢も投影されていますけど、これは?
- たかしげ
- そういうのは彼(皆川)が大好きだったんです。そういうの入れようよって。
- 皆川
- 若気の至りですね(笑)なんか世の中に対して怒っていたんでしょうね。『朝まで生テレビ』とか観ながら、アホみたいにとんがってた。
- たかしげ
- そういうものをちょっと入れるのは別に自分も嫌いじゃないんですけど、彼が「学歴社会を入れようぜ」とか言ってくるんで、「わかった、ちょっと考えてみる」とか言って。
- 皆川
- ごめんなさい(笑)
- たかしげ
- 謝らないでくれ、それなりに何とかなったから(笑)
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――それが『スプリガン』という作品を多面的なものにしたところはありますよね。
- たかしげ
- そうそう。我ながら言われて書いたわりによくできたなと思ってたし。
- 皆川
- 今読むと「恥ずかしい!」ってなるんですけどね。
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――連載開始当初はお互い顔を合わせないままに作っていたわけですよね、それはどういうプロセスだったんですか?
- たかしげ
- 最初は自分が書いたものを担当がチェックして皆川さんに回すっていう形だったんですけど、仲良くなってからはダイレクトに要求が来たり、今みたいに「こういうのやらない?」って言ってきたり。そういう彼の要求を受けて、やり取りをしつつ転がしていきましたね。
- 皆川
- 最初担当のKさんに「とにかく面白くしろ」って言われて。それが一番難しかったですね。さっき話したとおり、デビューするまで僕は漫画を一本ちゃんと描いたことがなかったんですよ。まったく漫画のことを知らなかったから、イチから基礎を叩き込まれましたね。今思うとそこで育ててもらえたことはありがたかったなと思います。最初の「炎蛇の章」のときはまだたかしげさんに会っていなかったので、とにかく怒られながらやっていた印象があります。
- たかしげ
- でも実際に会うようになってからはだんだんうまくいくようになって、「狂戦士(バーサーカー)の章」ぐらいからは本当にスムーズに進むようになったと思います。